森川和夫：廣重の風景版画の研究ー（１）
　古写真で読み解く広重の江戸名所

１６１．絵本江戸土産　浅草金龍山境内櫻　
　武江年表、安政3年（1856・丙辰）の項に、「十一月より翌巳年にいたり、浅草寺観音堂前奥山等に桜樹千本を栽う（北方の佳人驟客のううる所なり…）」なる記事がある。今回採り上げる「絵本江戸土産・浅草金龍山境内櫻」は、その書き込みにより、この武江年表の記事に対応していることが分かる。すなわち、この絵は、昔からある江戸名所、浅草寺境内ではあるが、その描く内容はすぐれて時事的なものなのである。

　少し長くなるが、「絵本江戸土産」の広重の書き込みを引いておく。「去年、安政三丙辰浅草奥山に千本の花を植うる。元来何人の寄進なること定かならねど、多く北里の名妓これを献り、おのおのその名を記したる簿（ふだ）を掛けたりしも、雨露に朽ちて後には別きがたけん。実に春時の一賞翫、名だたる芳野の山桜も争（いかで）かこれに及ぶべき。いはんや東都に比すべきなく、その景、扶桑に冠たるものあり」

　浅草金龍山境内櫻
　絵本江戸土産第七巻

　浅草金龍山境内

　写真は同じ場所をほぼ同じ角度から撮ったものである。しかし、残念ながら雪景だ。雪景といえば、同じ場所をこれまた同じ角度から描いた小林清親の「浅草寺雪中」がある。参考までに引いておきたい。

　浅草寺雪中
　江戸から東京へ「小林清親展」（読売新聞社）

　この清親の絵が世に出た明治14年（1981）には、安政3年に植えられた櫻はどの程度に生長していたのだろうか。いずれにせよ、櫻を寄進した北里の名妓の名を記した木札は広重が予言したように雨露に朽ちてなくなってしまっていたことだろう。

備忘：吉原の宣伝プロモーション
　北里の佳人が浅草寺境内に桜樹千本を植えたというのは浅草寺への参詣客を当て込んだ吉原の宣伝活動で、「江戸の開帳」（比留間尚著、吉川弘文館）に次のような一節がある。参考までに引いておきたい。

　「享保18年（1733）3月18日から同月23日までの御成跡開帳のとき、吉原の遊女たちが本堂裏に千本桜を寄進し、満開の枝々に遊女たちの名を記した札を下げ、あるいは自作の詩歌の短冊をつるしたりして、参詣の男どもの登楼を誘ったと伝えられている」

　吉原の宣伝活動といえば、千本桜ばかりでなく、妓楼の名前入りの提灯を寺院に奉納したり、神社の鳥居や玉垣に麗々しく名を連ねたりもした。時々散歩に出かける花島観音（千葉市花見川区）境内にも数多吉原妓楼の名を刻んだ玉垣を見かけたが、つい先年取り払われてしまった。吉原の宣伝活動は、江戸市中ばかりでなく、遠く下総の地にまで及んでいたのである。

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