森川和夫：廣重の風景版画の研究ー（１）
　古写真で読み解く広重の江戸名所

１８２．広重の風景版画の研究（余興）―芸者は素足にならない！？
　2003年の暮、NHKが江戸開府400年記念スペシャル番組として「大江戸繁盛記」なる番組を企画、その一部として名所江戸百景を特集した「広重百景ミステリーツアー」を放映したことは、先に、「85広重の風景版画の研究（余興）―重要な新発見」で触れた。

　この番組は「名所江戸百景」の細部を拡大して、広重の絵のさまざまな謎解きをしようという趣向であった。そのうちの一枚が「真乳山山谷堀夜景」で、番組はこの絵についてさまざまな謎を提起した。広重描くこの芸者は何故「左褄」を取らないのか、メイクは何故薄化粧なのか、この芸者は何故素足なのか、といった具合である。今回はこの「素足」問題を見ることとしたい。

　名所江戸百景「真乳山山谷堀夜景」
　広重江戸風景版画大聚成（小学館）

　番組では、「芸者は下駄をはいて素足ということはない。仕事中絶対に素足にならない」という着付けのプロ某氏の指摘を事実と認定、これを出発点とし、何故広重描く芸者が素足なのかの穿鑿にかかった。ところがことは案外簡単、戦前からお座敷に上がっていたというベテランの某姉さんがこの難問をあっさりと解決して見せた。その答えは「これは深川芸者」だというものであった。深川芸者は船で移動するので足袋をはかなかった！

　番組を見ているとき、成る程そんなものなのかと納得したのを覚えている。その後、鹿島万兵衛の「江戸の夕栄」を読んでいると、次のような一節に出くわし一驚した。少し長くなるが、問題の部分であるから、その全部を引用したい。

　「昔から芸者や遊女は、寒中でも足袋を履かぬのは何か理由のあることならん。あるひは上より禁ぜられしものならんと思ひおりしに、ある通人の言に、それは決して禁ぜられしにはあらずして、伊達の素足といふ、意気を喜ぶ習慣より来りしものならんと言へり。あるひは然らん。昔の遊女や芸者の画に足袋を履いたるを見ず。明治初年までは現に履かざりし。おいらんが廻しに行き、氷のごとき足を突っ込み、「つめたうざますがかんにんして暖めてくんなまし」などと言はれるはあまり悪（にく）くもなかりし」

　鹿島万兵衛は嘉永2年（1849）、江戸堀江町四丁目に生まれ、大正7年（1918）まで同所に住居し、実業界で活躍した御仁である。江戸芸者のことはおそらく現代の着付けのプロ某よりも詳しいのではないだろうか。

　そこで、広重描く芸者の絵を片っ端から調べてみると、あるは、あるは、季節に拘わらず、外出中みな下駄に素足ではないか。と言っても信用いただけない向きもあると思われるので、一つ、二つ、その映像をご紹介したい。

　　
江戸名所四季の詠（ながめ）隅田川雪中の図（部分）
広重江戸風景版画大聚成（小学館）

　　
東都本郷月之光景（部分）
広重江戸風景版画大聚成（小学館）

　芸者の素足を陳列するのも趣味がよろしくないのでこの辺でご勘弁願いたい。いずれにせよ、このような些細なことも、というよりも些細なことであればこそ、150年も時が経つとすっかり分からなくなってしまうということだろう。

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